すいか イチジク 夏の思い出
<景品表示法に基づく表記>当ブログ内の一部記事にはプロモーションを含みます。
ご近所の方からイチジクをいただきました。
日中の暑さがようやくやわらいだ夕暮れ時、ホッとした気持ちで外に出ると、狭い道をはさんだ向かい側にはお隣さんの庭。手入れがいいことで有名なおうちですが、この季節はとくに私を楽しませてくれるものがあります。
それは隣家の庭からただよってくる甘いイチジクの匂い。
毎年のことなのに、実のなる時期を忘れてしまう私。かぐわしい果実の香りにおやと頭を上げると、しげった葉のすきまから重そうに熟したイチジクが……。
人様の庭をあまりのぞきこむわけにもいきませんが、お隣さんはイチジクの果実にはあまり興味のない様子。いくつもの実が放置され、鳥につつかれるままになっているのを、すこし寂しい気持ちで眺めていました。
母も私と同じようにもったいなく感じていたのでしょう。「見事ですね(もしくはストレートに美味しそうですね?)」と声をかけたのをきっかけに、おすそ分けをいただくようになりました。
たいてい母経由で我が家の食卓に上りますが、ときどきは私に直接声をかけられることも。「みのりさんは本当に喜んで食べてくれるから~」とのことですが、当然食べている姿を見せたことはありません。両手いっぱいのイチジクによほど目を輝かせていたのでしょう。食い意地が家族以外にも知られているようで、なんとも気恥ずかしい話です。
食い意地といえば、我が家はスイカの食べ方もちょっと変わっているようで。
半月型(もしくは三角)にカットしたスイカを、メロン用の湾曲したナイフを使い、皮と実をキレイに切り離してから食べています。
残った皮は見事に真っ白! よそのお宅では笑われるかもしれませんが、自宅なので気にしません。
このやり方だと甘い中心部を最後に食べられて最高なんですよ。ぜひ試してみてください。
無花果を愛で、食す
無花果という奇妙な漢字があてられるイチジク。
丸い底の部分の裂け目から見える、熟した赤い色に目を奪われます。人によってはグロテスクに感じるかもしれません。かなり独特な見た目です。
ねっとりと甘い果実の内部にある、種のようなものが花だと知ったときは驚きました。プチッとした感触が楽しいあのつぶつぶが……! 外からは花が見えないため「無花」果と名付けられた、という説にも納得です。
私は柔らかい完熟いちじくが好みなので、皮は剥かずに洗ってそのまま食べます。肉厚な皮の食感もいいですね。プロの農家の商品ではないため青臭い風味が強く、それも面白さのひとつ。
日持ちしないのだけが難点ですが、その場合はジャムにしてみても。生のイチジクが苦手な方にはこちらの方が食べやすいかもしれません。(私はすぐ食べきるので挑戦したことがありませんが!)冷凍保存も可能だそうです。
市販のいちじくジャムも各メーカーがこぞって出しています。濃厚でクセになるその味に、ついお財布の紐が緩んでしまいます。
ボンヌママンが入手しやすくておすすめ。
果実の味から思い出す、楽しかった夏の一日
イチジクといえば思い出す、懐かしい夏の情景。
中学生の夏休み、両親といっしょに京都へ旅行に行った日の出来事です。
観光スポットから離れた寺へと足をのばした際、畑の横でイチジクを路上販売している農家さんと出会いました。日よけ付きのツバの広い帽子をかぶったおばあさんから、瑞々しいイチジクを買って目的地に再出発。
抜けるような青空の下、暑い暑いと歩きながら、手にした果実にかぶりついた記憶がいまも鮮やかによみがえります。あんなに甘く美味しいイチジクには、あれから一度もめぐりあっていません。
よく考えると不自然な点も多いのです。思い出すのが映画やドラマに出てきそうな田舎道で、いちおう観光地周辺でこれはないだろうとか。なにかというと家族で話題に出していたので、記憶が美化されていることも否めません。
でも、そのときのイチジクの味を思い出すたび笑顔になれるなら。
日常の様々なものに大切な思い出があるというのは、悪くないと思うのです。
いつか家族や大事な相手がこの世からいなくなってしまう日。
思い出を呼び起こす手段は写真や動画・私がいま書いているブログなど、たくさんありますね。
けれど、いちばん薄れずに残り続けるのは、こういった身近なものへの記憶なのかなという気がします。
そんなことを考えながら食べたイチジクは、去年より少しほろ苦い味がしました。