老いを感じた瞬間。たとえば白湯を手にする夜
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日記 2023年2月
「ああ、自分年をとったなあ」としみじみ思う瞬間。人によって、それは様々だと思う。
たとえば豊かな黒髪に白いものを見つけたり、大好物のはずの料理が昔ほど食べられなくなったり。
『実年齢の7掛けが現代における見た目年齢である』説がまことしやかに囁かれ、雑誌では素敵なグレイヘア特集が組まれる近頃であっても、いざ自分に老いの兆候が見つかれば、やっぱり多少はうろたえるわけです。
こんな風になるとは思ってなかった。
冗談まじりに口にする言葉は、大半は自虐ネタで少しだけ本音。
このセリフは母がたまにもらす一言でもあります。おそらく、年齢が上がるごとに本音の割合が多くなっていくのでしょう。せめて自虐成分は多めでありたい……というと言い方が悪いですね、笑い飛ばす気概は持っていたいという意味です。
しおしおとしていても、誰にも平等に訪れる事態ですから。
老化を実感する瞬間の例として「白髪」「食事」を挙げてみたものの、私自身が若いころと違う自分を感じたのはいつだっただろう。
そう考えて、明白に変わったことがいくつか思い浮かびました。
ひとつめ、映画の字幕がつらくなった。
動画配信サービスで興味のある作品を見つけても、吹き替え版がないと億劫でついつい後回しにする。そんな自分に気づいたとき、愕然としました。
昔は「字幕じゃないと役者の本当の演技がわからない」なんて(さも自分に見る目があるかのように)言っていたくせに*1……。
それどころか、2時間前後じっくり鑑賞するのが難しくなっているのですよね。集中力が途切れてしまう。おかげで1話完結のドラマばかりに手がのびます、『孤独のグルメ』とか。
ここ数年、映画を観る機会がめっきり減っていたのも原因でしょう。映画鑑賞が習慣になれば、また違うのかもしれません。
がんばって字幕に挑戦するのも疲れるので、とりあえず、いま楽しめるかたちでやっていく予定。
ふたつめ、初めて白湯をおいしいと感じた。
これもなぁ、以前は「白湯を飲むくらいなら、どれだけ出涸らしでも緑茶がいい」と言い張っていたのに……。
普通においしいです、白湯。
まず、口の中を汚さない。丁寧に歯磨きしたあと、水分が欲しくなったときにうってつけ。
和食洋食、料理の種類にも左右されない。食後にお茶は淹れるけど、合間になにか飲みたーいってなりがちじゃないですか? その場合は迷わず白湯を選びます。
なにより、身体にすんなりと染み込んでいく感覚がある。
白湯を好んで飲んでいるとのインタビューを初めて読んだときは、発言者が女優さんだったこともあり、おぉ~やっぱり意識高い*2……と思ったものですが、あれは単純においしいから飲んでたのかもしれない。きっとそう。
こんな風に感じる日がくるとは、思ってなかったなあ。
白く湯気が立つ白湯をゆっくりと飲み下しながら、改めてそう考える夜。
このあいだ似たような言葉で嘆いたばかりだというのに、不思議と悲愴感はありません。
お腹に満ちたぬくもりはやがて全身をあたためて、少し幸福な気分になりました。