思い出は近く、遠く。白滝の豚そぼろと祖父の思い出
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日記 2023年8月
荒天続きのお盆休みが終わった。
もっとも、お盆という感覚はあまりない。私の住む地域は7月半ばに行事をすませているからだ。
毎年7月になれば店先に仏花や迎え火用のおがらが並び、仏壇には提灯が飾られる。それが当たり前だったので、大人たちの言う「お盆休み」と日程がズレていることを疑問に思ったのは(かなり)成長したあとの話。
気は強いのに、どうにも抜けたところのある子どもだった。
お盆休みといえば、帰省する人も多いだろう。
父方の祖父母と同居し、母の実家も近隣であったため、いわゆる「田舎」を私は持たない。
すべての親族と気が合うはずもなく、戻れば戻ったで気苦労も多いと聞くが、夏休みあけに友人から披露される話はやっぱり新鮮で、ずいぶん羨ましく思った。
今はもういない人を偲ぶ日
同居していた祖父は優しく、おだやかな人だった。
怒られた記憶は、私が祖母に対して意地悪なことを言ったとき1度きり。
もう何を言ったのかすら忘れているのに、叱責されたときの恥ずかしさ、後悔、そういった感情だけはくっきりと刻まれている。
(高齢のためもあるだろうけれど)鶴のように痩せていて、そのくせ結構な大食らいで*1、近所の肉屋で買う揚げたての豚カツが大好物。
初めて見る人はびっくりするだろう、草鞋みたいに大きな豚カツを「たまにこれを食べないと力が出ない」とたいらげるのだ。
祖母はふくふくと太った丸い女性だったが、食事量が特別に多かった覚えはない。家族とはいえ本人たちの前でしゃべることではないので、こっそり母と「“蚤の夫婦”そのまんまだねえ」と頷きあった。
祖父の好物といえばいくつも思い浮かぶ。
白滝と豚ひき肉と生姜を甘じょっぱく煮た、豚そぼろもそのひとつ。とくにレシピもない、昔から定番おかずとして食卓に並び、私も覚えてきた家庭の味。
今も当たり前に作り続けている。
しめじを入れるとボリュームが増えて好きだ。歯応えのある白滝にひき肉がよく絡み、ご飯がいくらでも進んでしまう。生姜はたっぷり派。豚肉の臭みを消し……なんて用途を超えて、山ほど入れる。ピリリと辛い風味がたまらない。
味噌卵*2とセットで二色丼にするのもお気に入り。
ちなみに味噌卵は母が学生時代に自分で作っていたお弁当の定番メニュー。適当な量の味噌を入れるだけ、気が向いたら顆粒だしか味の素も追加。忙しいと味噌を溶かさず卵に投入するので、出来上がった炒り卵は場所によって塩辛かったり薄味だったり。
その「適当さ」も含めて家庭料理の伝承なので、良しとしている。
心残りは祖父においしい肉じゃがを食べてもらえなかったこと。
祖父は病気で倒れ、あっという間に亡くなった。記憶が曖昧なので数ヶ月の猶予はあったのかもしれないが、学校で忙しい私には短い時間だった。
倒れる数日まえに祖父の好物だった肉じゃがを作った。
私は料理を母に教わりつつ始めたばかりで、肉じゃがの出来は寝ぼけたような薄味。焦がさなかった、健康に良さそう(塩分の圧倒的な少なさ)と長所をあげても、不本意な結果には違いなかった。
祖父の反応はどうだっただろうか。おいしいとフォローしてくれたか……もう覚えていない。
祖父が車で病院に向かうとき、留守番の私に弱弱しく振ってくれた細い手。そんなことばかり覚えている。
後悔とは違うのだけれど、亡くなったあと、何年たっても肉じゃがを食べるとおじいちゃんを思い出す。
お盆だからと特別なことはしないが、思い出すのも大事な供養なのだろう。
今年はブログにも書けた。個人的な記憶を文章にする機会はなかなかない、感謝しています。
おまけ 箸置きを新調しました
普段使いしていた箸置きを家族がゴミと一緒に捨ててしまい、戸棚をひっくり返し探してきた。
たぶん旅行先で購入したもの? ころんと丸みを帯びたフォルムと柔らかい色がかわいい。
くぼみがないので下手すると箸が転がってしまうが、上品に食べろという戒めでしょう。たいへん気に入っている。
とりとめのない話でしたが、読んでいただきありがとうございました!
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