みのりブログ

毎日を楽しく暮らしたいのんびり者です。

【今週のお題】教室のロッカーには本と夢がつまっている

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今週のお題「読書の秋」

 

教室のうしろに据えられたロッカー。教科書や道具類がしまわれるその場所に、私のスペースだけ隙間もないほど本がつまっている。図書室の先生からいただいた本。

 

「読書の秋」というと思い出す光景です。

私の母校は生徒人数が少ないうえ、本を読む子はごくわずか。同好の士がいないのは寂しくもありましたが、そのおかげで購入リクエストが通るという特典もありました。

その年、私の通う高校では図書室の本の除籍作業をしていました。

穏やかな学校司書さんを慕っていた私は、図書室に入り浸り作業を手伝っていました。いま思うと、不器用な素人のやることです。二度手間にならない仕事を割り振るのに先生は苦労されたでしょう。貢献できたかはともかく、おしゃべりをしつつ手を動かす時間は楽しいものでした。

 

除籍をする基準を今回あらためて調べてみました。

・ほとんど貸し出しをされていない

・情報が古くなっている

・文庫版を購入したので単行本を除外

・ひどく傷んでいるため

……など、事情は様々ですが母校の場合ひとつめの理由が多かったように思います。選り分けられリサイクルコーナーに並んだ本は手擦れもなく、ページに挟まれたしおりはまるで新品のような顔。

ただでさえ本の処分には抵抗があるのに、こんなに綺麗な本を!となった私。興味のあるジャンルは片っ端からもらってきた結果、冒頭文の状態になりました。家に持ち帰るのが追いつかなくなったのです。

周囲のロッカーは片付いているのに自分だけみっともないかなと気にしつつ、私は毎日少しずつ本を持って帰りました。なんとなく、手の届くところに本があることが嬉しかったのです。

 

変わったこと、変わらなかったこと

 

ここ十数年で図書館・図書室の景色もずいぶんと変化しました。小さな引き出しがたくさん並んだ「カード目録」の重厚な棚、あれがなくなったときは寂しかった……。

変わったものも多いけれど、私が図書室の片隅にいた頃と変わらないものもあります。

一冊を読み終えても、また次の本がある幸せ。

知らない世界に出会う楽しさ。

自分も知っている感情が何百倍も鮮やかな「言葉」として目の前にある、その驚き。

 

どうして学生時代はあんなにも沢山の本を読めたのでしょう。時間や心に余裕があったから? 忙しさだけで言えば、当時のほうが朝から夜までフル回転だったのですが。

昔と変わったのは読書スピードだけではありません。好んで読んでいたはずの「説教くさい」作風がめっきり苦手になってしまいました。自分より広い視野の言葉を素直に受け入れられなくなった証拠でしょうか……良くないですねえ。

 

世間にうまく馴染めない人物に惹かれるのは変わらない部分。

けれど、主人公と周辺人物だけを「繊細な少数派」として描く作品は読めなくなりました。多数派で苦労がないように見えるモブキャラクターにも、それぞれの人生と悩みがある。その視点を欠いた物語は鼻につくようになってしまったのです。

現実では「自分とは合わない」と判断したら、必要最低限のつきあいですませることがほとんどでしょう。だからこそ、一瞬でも通じあえた世界を創作の場では読みたい。夢のような理想論であろうとも。

NG要素増加は読書の幅が狭まってイヤなのですが、ここは譲れないところです。